「給食の皿うどんの麺が硬すぎて、児童たちの歯が欠けた」
というニュースを、先日目にしました。どうやら麺を揚げる時間が長くなりすぎ、歯が欠けるほどに硬くなってしまった、ということなのだそう。
このニュースについて、
「多くの子供たちは、文句も言わずに完食したのだろうか」
と疑問を抱く一方で、私は、
「今時、給食に皿うどんが出るんだ‥‥」
という感想をも抱いていました。
自分の小学生時代を思い返してみると、皿うどんが給食に出た記憶はありません。麺類自体、月に1回ほど「カレーうどん」というものが出たくらいだった気が。めったに出ない麺類、それもカレー味ということが子供には嬉しくて、カレーうどんは人気メニューだったものでしたっけ。
給食ではめったに遭遇しなかった中華料理
子供時代の私は、皿うどんという食べ物の存在自体、知りませんでした。皿うどんは、ちゃんぽんとコンビのような存在感の、長崎名物です。長崎といえば、江戸時代は中国など外国に開かれた窓口になっていた地であり、中華街もあれば、中国風の料理が残っていたりもするのであり、皿うどんやちゃんぽんもその一つでしょう。
長崎出身の年上の知人は、
「高校を卒業をして東京に出るまで、ラーメンというものを知らなかった」
と言っていました。長崎においては、東京におけるラーメン屋さんのように皿うどんとちゃんぽんの店があったので、地元ではラーメンを食べたことがなかったのだ、と。
対して私の子供時代、東京ではまだ、皿うどんやちゃんぽんのお店は目立ちませんでした。今のように「リンガーハット」のようなチェーン店が東京にあるわけでもなく、そして親が長崎出身でもないという状況においては、目にする機会も口にする機会も、なかったのです。初めて食べたのは、初めて長崎へ行った時だったのかもしれません。
今の子供たちは、給食で皿うどんを食べるとは‥‥。と感慨にふけりつつ給食のメニューを思いかえしてみると、皿うどんのような中華料理っぽいもの、もしくは中華料理が給食に出てくることも、めったになかったのではないか。
唯一記憶に残っているのは、毎月配られた献立表に、たまに「中華ふう○○」という料理が載っていたことです。「ふう」だけがひらがなだった、ということがなぜか強く記憶に残っているのですが、それはたとえば「中華ふうサラダ」。春雨やきゅうり等が、お酢と醤油、ごま油で味付けされていたものだったのですが、あまり子供ウケはしない味だったことを覚えています。
「魚の中華ふうあんかけ」的なメニューもありました。ソテーした魚に、野菜等が入ったドロッとした餡がかかっている料理だったかと思うのですが、こちらもまた人気は今ひとつ。
そうしてみますと、給食における「中華ふう」メニューは、私を含め子供のハートには全く響かなかったことになります。なにせ給食ですから、本格的中華料理であるはずもなく、あくまで「中華ふう」。ごま油を使用したり、ドロッとしたものをかけたりした料理は「中華ふう」なのだ、という印象が叩き込まれただけだったのです。
ドロッとした餡+何か=中華、という方程式
皿うどんも、そういった意味においては「中華ふう」の料理です。パリッと揚げた麺に、色々な具の入ったドロッとした餡をかけるということで、それはまさに日本的中華。同じような餡をご飯にかけた料理には、「中華丼」という非常にざっくりした名前がつけられていることを思えば、ドロッとした餡+何か=中華、という方程式が我々の中には存在しているのではないか。
しかし皿うどんにおける「パリッ」と「ドロッ」の共演は、なかなかに好ましいものです。最初のうちは麺と餡との相反する食感を口の中で楽しみ、時の経過とともに麺が次第にしなっとして餡と融和するという変化も、また佳し。麺が普通の硬さに揚がってさえいれば、子供たちも喜んで食べるのではないでしょうか。
皿うどんが出るということは、もしかすると今時の小学校給食では、他にも色々な中華料理が出るのかもしれません。近所に住む小学生に、給食の献立表を見せてもらったところ、「マーボー豆腐」や「あげぎょうざ」、のみならず「ラーメン」というメニューまで載っているではありませんか。
「あげぎょうざが、一番人気ある!」
と、小学生は教えてくれました。
献立表をさらに眺めると、バリエーションは中華においてのみ広がっているわけではありませんでした。沖縄や東北といった国内の郷土料理の日もあれば、韓国料理やイタリアンという日も。
「すっごく美味しそうね‥‥」
と、思わず私は唾をのんだのです。
今時の給食を作る方々は、和洋中のみならず、様々な料理テクニックを駆使して食育を行っているのかと思うと、頭がさがる思いがした私。給食のあげぎょうざから中華愛に目覚める子供も、そのうちに出てくるのかもしれない、と思います。