小籠包から漏れ出るスープ、黒酢に浮かぶ油に「萌え」

酒井順子・ずっと中華が好きだった

中華料理にまつわる私の原風景は、東京・芝のS飯店にあります。

どう頑張って食べても小籠包ショウロンポウから漏れ出ててしまうスープが小皿にこぼれ、そこに含まれる油分が黒酢の上に浮かんで、天井のライトを反射させている。既に自分は、満腹。まだ食べ続けている親を待つのが退屈で、小皿に浮かぶ油の小島と小島をお箸で合体させて、油の大陸を作るのが常でした。そして、その小皿の中の油の大陸こそが、今に続く私の中華料理愛につながる光景なのです。

S飯店は、私が生まれた三年後に開店した中華料理店です。今や、地元の駅ビル中華でも食べることができる小籠包ですが、私が子供の頃はまだ珍しい食べ物。というよりも、日本で初めて小籠包というものを供したお店がS飯店だったのであり、私が子供の頃は東京でほとんど唯一、小籠包を食べることができるお店だったのではないか。

我が両親は、仲が良くないにもかかわらず、食に対する探究心だけは一つにしている夫婦でした。芝の中華のみならず、ピザは横田、メキシコ料理は世田谷のナントカ、お好み焼きは下町のカントカ……と、二十三区の西の端にある我が家からの距離をものともせず、様々な料理を様々な店へと食べに行っていたものです。

いわば、食が夫婦のかすがいだったのですが、兄は小学校の高学年にもなると、

「俺は行かない」

と家にいるように。しかし、私は食べることが嫌いではなかった上に、「夫婦だけにするよりも、自分も一緒に行った方が良いのではなかろうか」と子供なりの気配りをした結果、親についていっては食べる、という日々を送っていたのです。

衝撃的な構造

中でもS飯店は、私のお気に入りでした。点心的な食べ物といえば、餃子ギョーザ焼売シューマイ、春巻き、肉まんくらいしか知らなかった、当時の日本人。そんな中で、皮にスープが閉じ込められているという小籠包の構造は、衝撃的でした。肉だねからにじんだ油分がスープと渾然こんぜんとなり、全体の味わいを黒酢と千切りの生姜ショウガが引き締める。共に中国茶を飲めば、油と酢と生姜の残り香がお茶によってスウィープされ、

「何個でも食べられるネー」

ということに。目の前にせいろを積み重ねていくのが、うれしかったものです。
お店で働いているのは、中国の人ばかりでした。当時はお客さんも中国人が多かったのであり、中国語が飛び交う店内は、日本ではないかのよう。

そのエネルギーと、日本人とは明らかに違う“愛想をふりまかない感じ”も、私には衝撃的でした。我々からするとほとんど仏頂面に見える表情の店員さんが目の前にドンと置いたせいろの中から、湯気と共に小籠包が出てくると、愛想のなさが味を引き立てる感じがしたものです。

一気に食べた後は、小皿に光る油の大陸を眺めつつ、「中国の人たちは、我々と顔は非常に似ているけれど、しかし我々とは明らかに違う!」と、私は感じていました。自分達とは顔が全く違う欧米の人が作る料理が日本の料理と違うのは、わかる。けれど、顔が似ている、というよりほとんど同じなのに食べるものがこんなに違うとは……。と、私は中華料理へと引き込まれていったのだと思う。

呆然ぼうぜんと小皿の中をいじくっているうちに、親もそろそろ満腹となって、

「じゃあそろそろアレを」

と頼むのは、「鍋餅クオーピン」というデザートです。正式には豆沙鍋餅トウシャクオーピンと言うのだと思いますが、こちらは中華風のクレープにあんこを包んで焼いたもの。饅頭やら大福やら、生地にあんこを包むタイプの甘味は日本にもあるけれど、鍋餅は饅頭や大福とは似て非なる味わいでした。

焼きたての鍋餅をかじりつつ、

「なんで同じあんこなのに、日本のあんこと違うんだろう」

とつぶやくと、

「中華のあんこには、ゴマ油が入っているからよ」

と母。
それを聞いた私は、

「ここでも、油!」

との衝撃を受けたのでした。日本のあんことは異なる照りとつや、そして味のコクは、ゴマ油によって醸し出されていた。小籠包のスープで既にやけどを負っている口中は、クレープをかんだ時にはみでるあんこでさらにやけどの上塗りとなるのですが、そんな熱さがキープされるのも油のせい……。

油でハイに

かくして私は、中華料理における「油」に、ハートをわしづかみわしづかみにされたのでした。基本的には油分が少ないのが、和食。食べていると、良く言えば平穏な、悪く言うならばしんみりした気持ちになる料理です。

対して中華料理では、いためたり揚げたりするだけでなく、油をかけたり混ぜたり、また油通ししたりなど、様々な油マジックを駆使する上に、使用する油の種類も豊富。彼我ひがの顔は似ているけれど、だし汁を身体に循環させているような日本人と、油を循環させているような中国人とでは、そりゃあ気性も違ってこようよ。

……と、そこまでのことは子供時代に考えていなかったものの、油を摂取すると明らかにハイになるような気はしていた。

私はこうして中華料理が大好きな大人になっていきました。とはいえ他の料理が苦手なわけではなく、和食もイタリアンもタイ料理も好き。……なのだけれど、中華料理を食べている時の「燃え」と言うのか「え」と言うのか、とにかく気持ちがたかぶる感じは、他の料理の時には感じないものなのであり、これからしばらくの間、そんな“昂ぶり”の道行きに、お付き合いいただければと思います。

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酒井順子
酒井 順子(さかい・じゅんこ)
エッセイスト

高校在学中から雑誌にコラムを発表。大学卒業後、広告会社勤務を経て執筆専業となる。「負け犬の遠吠え」で講談社エッセイ賞、婦人公論文芸賞を受賞。11月に「ガラスの50代」(講談社)を出版。