非日常が恋しい週末に、牛テールの赤ワイン煮込み

水野仁輔のスパイスレッスン85

「ピンからキリまで」という表現があることを知った子供のころ、その意味を覚えるのに苦労した。なんとなく、言葉の響きと意味が合わない気がしたからだ。「ピン」というと貧乏の“ビン”に近い気もするし、ボウリングの“ピン”のように蹴散らしてナンボみたいな、ぞんざいに扱っていい感じがする。一方、「キリ」は、桐の箱の“キリ”をいつも想起してしまい、高価なイメージが付きまとう。でも、本当は逆らしい。今でもややこしいと思っている。

ぶつぶつ言いながら僕は、バットに牛テール肉をゴロゴロと入れ、脇に置いたまな板でタマネギとニンジン、セロリを細かく切った。これだって、ピンとキリの素材といえなくもない。高価な牛テールはピン、安価な香味野菜はキリ。主役である牛テールの味わいを、脇役である香味野菜の香りが引き立てる。そう、これから作ろうとしている牛テールの赤ワイン煮込みは、“ピンキリメニュー”なのである。

ピンからキリまで、という表現はどうやらポルトガル語が語源となっているようだ。だからなのかもしれない。なんとなく、響きがなじめない。僕の中で似たような部類に入る表現に、「ハレとケ」がある。こっちのほうが幾分か覚えやすかった。子供心に「『ハレ』は、どう考えたって『晴れ』だろう」と予想がついたからだ。一方、「ケ」の方はまるで意味不明だったが、地元の遠州弁が「~~け?」と、やたらと語尾に“け”をつけるものだったから、「ケは日常だ」とこじつけて覚えてしまった。

肉と香味野菜を密閉袋に入れ、赤ワインをドボドボと注いだら、真空状態を作る。水の張った鍋に、袋をギリギリまで沈めて封をすると、水圧で空気を抜くことができる。それを冷蔵庫で一晩寝かす。ピンとキリが仲良く融合したのを見届けたら、肉と香味野菜と赤ワインをそれぞれ別々に分ける。

フライパンを取り出し、牛肉から焼いていこう。表面全体がこんがりしたら取り出し、次はオリーブ油を加えて香味野菜をいためる。表面が色づいたら、とっておいた赤ワインを加えて煮立て、アクをひく。牛肉を入れた鍋に、フライパンの中身を移し替える。なんだかこの料理は、合わせたり、引き離したり、また合わせたりと忙しい。

こんな手間のかかる料理を作ろうと思ったのは、自分が非日常を求めているからなのだろう。スパイスやハーブを使ってカレーを作るのは、僕にとって日常のなかの日常である。退屈ではないが当たり前の行為すぎるから、たまには逸脱したくなる。日常から逃げ出したくなるのだ。

非日常を感じる料理ってなんだろう?と考え、たどりついたのが牛テールの赤ワイン煮込みである。“オックステール”などと言い換えれば、混乱しそうなほど日常を遠ざけてしまう。

牛肉の中でも、最も手を出しにくい部位と言っていいかもしれないのがテール。テールとは尻尾のことである。尻尾を食べる!? しかも、買ってきて少し動揺する。そうか、尻尾には骨もあるのか、いや、そりゃそうだ、あるよな、骨。どうやって料理していいか途方に暮れそうな塊である。

鍋に赤ワイン400ml、水300mlをさらに追加して煮立て、そこからはひたすら煮込む。ごく弱火にしてふたを少しだけずらし、3~4時間。とにかく肉が軟らかくなるまで煮込むのだ。肉に絡まるソースの色は、次第に濃い焦げ茶色から黒っぽい色へと深まっていく。少しワイン色を帯びた濃厚なソースが出来上がる。

このまま器に盛ってもいいが、非日常を強めたいなら、ここからさらに肉を取り出し、鍋の中にぎゅっとこしてソースを抽出する。そのまま冷蔵すると、脂肪分が白く固まる。これを取り除くのだ。はあ、手間がかかる。これぞ正真正銘の非日常である。こんなことを普段やっていたら、夏バテするより先に頭がクラクラしてきそうだ。

ソースを仕上げるときにはバターを。この頃には牛肉が冷めて硬くなってしまうこともあるが、その場合はレンジで温めれば復活する。この料理に使う赤ワインは「ハレ」でなく、「ケ」のものでいい。高価なワインではもったいないからだ。「ハレ」のワインがあったら、それはこの料理をいただくときに一緒に飲むことにしよう。ほろりとやわらかく濃厚な牛テール肉のうまみを味わえるのは、スパイス級の香りを放つ3種の香味野菜のおかげだ。ぜいたくな週末を堪能してほしい。

オックステールの赤ワイン煮込み
【材料】
牛テール 1㎏
タマネギ(みじん切り) 1個
ニンジン(みじん切り) 1個
セロリ(みじん切り) 10センチ
赤ワイン(マリネ用) 350ml
赤ワイン(煮込み用) 400ml
水 300ml
バター 20g
塩 小さじ1
好みのミックススパイス(あれば) 適量
【作り方】
マリネ用のワインに牛肉、タマネギ、ニンジン、セロリを加え、冷蔵庫で一晩漬ける。肉を取り出してフライパンで表面全体を焼き、取り出す。大さじ1のオリーブ油(分量外)を熱して野菜をいためる。マリネ液と煮込み用のワイン、水を加えて煮立て、アクをひく。深い鍋に牛肉とフライパンの中身をすべて注ぎ、ごく弱火でふたを少しずらした状態で3~4時間ほど煮込む。牛肉を取り出す。煮汁を絞るようにこして冷まし、表面に固まった脂肪分を取り除く。小鍋に移した煮汁にバターと塩を加えて煮詰め、器に盛り付けた牛肉に回しかける。

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水野仁輔
水野仁輔(みずの・じんすけ)
カレー&スパイス研究家

 1974年静岡県浜松市生まれ。99年に男性12人の出張料理集団「東京カリ~番長」を結成。各地で食のライブキッチンを開催するほか、世界のスパイス料理やカレーのルーツを探求中。著書は40冊を超え、近著に「水野仁輔 カレーの奥義」(NHK出版)、「スパイスカレー事典」(パイインターナショナル)、「いちばんやさしいスパイスの教科書」(パイインターナショナル)、「幻の黒船カレーを追え」(小学館)、「水野仁輔のスパイスレッスン」(中央公論新社)など。2016年にスパイスをレシピとともに届ける「AIR SPICE」を設立。