使い切りたい日に 長ねぎのノンオイルチキンカレー 

水野仁輔のスパイスレッスン64

長ねぎを持ってね、僕は冷蔵庫の前で立ち尽くしていたんだ。夜中にだよ。長い3本が束になっていて、ほら、スーパーでよく売っている状態でさ。何を思ったのか、野球のバットみたいに振りかぶって構えてみたりして。ボールが飛んでくるわけでもないのにね。あのとき、空いた冷蔵庫の中から卵が飛び出してきたら、フルスイングしてたかもなぁ。危ない、危ない。

理由はわかっている。「長ねぎがなかったな」と思って買ってきたのに冷蔵庫にあったから、途方に暮れちゃったんだ。前に買った3本と今日買った3本で合計6本。消費し切れやしないよ。僕みたいなドジをしなくたって、一人暮らしだったら、長ねぎが余って困る経験はあるよね。一気に使っておいしい料理に変えたい。だから、カレーを作ることにしたんだ。

材料をざっと並べる。ターメリック、レッドチリ、クミン、コリアンダーという“4種の神器”がなかったら、これからチキンカレーを作るんだってことはわからないラインアップかもね。だって、長ねぎ3本がおかしいもん。

まあ、ともかく、鶏もも肉を皮面から焼き始めたんだ。ジュージュー、パチパチ。こんがり色づいたらひっくり返してさらに焼く。皮からあぶらがにじみ出てくるけど気にしない。2枚焼いたら、鍋に残った油にみじん切りのにんにくとしょうがを加えていため、長ねぎとトマトを混ぜ合わせる。

その日は、なんだか細かいことがやたらと気になる日だったな。このタイミングで、本当は植物油を加えたいところなのに使わなかった。ちょっと前にある女性から言われたことが気になっていてね。

「水野さんのレシピって、4人分で油を大さじ3使うのが基本ですよね」
「そうですね」
「どうしてですか?」

まるで冷蔵庫の中から突然、卵が飛び出してきたような質問でね。面食らって答えに困ってしまった。「そりゃ、おいしくなるからだよ」と言いたかったけど言えなかった。やっぱり女性は、油控えめの方がうれしいのかな。じゃあ、いっそのことノンオイルにしようと思ったんだ。ただ鶏肉の脂分を使おうっていうんだから、往生際は悪いけどね。

長ねぎとトマトを混ぜ合わせたら、水をちょっと入れてふたをして蒸し煮にする。クターッとするまで10分、そこからふたを開けて水分を飛ばしながら10分、キッチリ火を入れていく。トマトだってホールトマトやトマトピューレを使うことが多いけれど、よくこんな声を耳にするんだよね。

「缶や瓶のトマトは全量を使うレシピじゃない場合、余ってしまいますが、どうしたらいいんでしょう?」

これも答えに窮するよね。「は!? 余るなら飲めば?」なんて言ったら、世の中全員を敵に回すだろうしね。余ったホールトマトや余ったココナツミルクを使ったいいレシピを考えたいところだけれど、まだ間に合っていないから、生のトマト1個を使うことにしたんだ。

スパイスを加えて炒め合わせているときは、あの言葉が浮かんできたなぁ。

「水野さんはスパイス3種の場合、ターメリック、レッドチリ、コリアンダーを選ぶことが多いですが、どうしてクミンは入らないんですか?」

んんん、これもなんて返したらいいのだろう。聞き取れないくらい小さな声で「コ、コリアンダーが好きだから」とつぶやいてみたりするけれど、中学生の告白じゃないんだからさ。クミンかコリアンダーかは好みの問題だけどね、ここは仲良く2種類とも同量で使ってみることにした。僕はさっきから、誰に気を使っているんだろうねぇ。

スパイスの香りが立ってきたら水を注いで煮立て、ふたをして10分。ふたを開けて鶏肉を戻してさらに10分煮込む。完成。味見をしてみると、予想以上に澄んだきれいな味わいがする。長ねぎは加熱すると十分に甘味が出て、カレーにおける玉ねぎの代用になることは前から知っていた。でも、ノンオイルカレーが、悪くない味わいに仕上がるとは思っていなかった。なるほど、これもアリだな。でもなぁ、油を使えたらもっと美味おいしくなるんだけどなぁ。

長ねぎを持ってね、僕は冷蔵庫の前で立ち尽くしていたんだ。冷蔵庫の奥からひんやりした風がやってくるのを感じて、ハッと我に返った。僕はきっと、いろんな人の声に耳を傾けながらカレーのレシピを開発しているんだな、と。たくさんの疑問やリクエストがヒントになり、かてになって新たな挑戦をし続けている。それが楽しくて、カレーを作っている。それでかつて誰かに言われたセリフを思い出した。

「いつか、水野さん自身が一番おいしいと思うカレーを食べてみたいです!」

確かにそういうのは、誰かに向けて作ったことはないかもな。だってそれは、自分で作って自分で食べればいいのだから。残念ながら期待には応えられないよ。結局、僕は、飛んできた卵を長ねぎでバーン!とは打ち返せない男なのだ。さ、冷蔵庫の扉を閉めて、もう寝ることにしよう。

◆長ねぎのノンオイルチキンカレー
【材料】鶏もも肉   2枚 (500g)
にんにく(みじん切り) 1片
しょうが(みじん切り) 1片
長ねぎ(縦半分に切って5センチ幅に切る) 3本
トマト(くし形切り)  大1個
塩 小さじ1
パウダースパイス
 ・ターメリック 小さじ1
 ・レッドチリ 小さじ1
 ・クミン 小さじ2
 ・コリアンダー 小さじ2
水 400ml
【作り方】
鶏もも肉を皮面から中火で焼き、取り出し、ひと口大に切っておく。にんにくとしょうがを加えて残った脂分と絡め合わせて弱火で炒める。長ねぎとトマト、塩を加え、100mlの水(分量外)を加えてふたをし、中火で10分ほど蒸し煮する。ふたを開けて強め中火にし、10分ほど炒める。弱火にしてスパイスを混ぜ合わせ、水を注いで煮立て、ふたをして弱火で10分ほど煮る。ふたを開けて鶏肉を加えてふたをし、弱火で10分ほど煮る。

水野仁輔
水野仁輔(みずの・じんすけ)
カレー&スパイス研究家

 1974年静岡県浜松市生まれ。99年に男性12人の出張料理集団「東京カリ~番長」を結成。各地で食のライブキッチンを開催するほか、世界のスパイス料理やカレーのルーツを探求中。著書は40冊を超え、近著に「水野仁輔 カレーの奥義」(NHK出版)、「スパイスカレー事典」(パイインターナショナル)、「いちばんやさしいスパイスの教科書」(パイインターナショナル)、「幻の黒船カレーを追え」(小学館)など。2016年にスパイスをレシピとともに届ける「AIR SPICE」を設立。