決め手はココナツ!? トマトと卵の炒め物

水野仁輔のスパイスレッスン62

ガヤガヤとした居酒屋の座敷で、10人ほどが集まって飲んでいる。それぞれに思い思いの話をするのだけれど、声の届く範囲は限られているからいくつかのグループができあがる。そんなとき、ふとした瞬間に一人以外のすべての人が沈黙することがある。必然的にその一人の発言にほとんど全員が注目することになる。

つい先日もそんなことがあった。思いがけずに一人語りを披露することになった彼女も当然、このふとした間に起きた事態に気づきながら話を続ける。沈黙は続く。僕はニヤニヤしながら、目の前にあるトマトと卵のいため物を口に運んだ。

この料理、昔は好きになれなかった。トマトは冷たいサラダとして食べるか、さもなければ、スパゲティのトマトソースのように、加熱によって完全につぶれていてほしい。程よく形を残した温かいトマトという、中途半端な状態を口に運ぶことに違和感があったのだ。ところがいつしか大好きな味になった。不思議なものである。

自分で作るのは、びっくりするほど簡単だ。トマトと卵を炒めるだけなのだから。

トマトはヘタを取り、湯むきして皮をく。さっと湯にくぐらせれば皮は剥けるが、この料理の場合、3分ほど熱湯の中に置き、ある程度、中心まで熱を通しておいたほうがいい。くし形に切るときにはつぶれやすいので慎重に。

卵には、塩と砂糖を混ぜ合わせておこう。簡単にできる調理だが、手早く仕上げなければならないからだ。

トマトと卵炒めの主役はどちらなんだろうか? とろっとしたトマトの方か、ふわっとした卵の方か。それによって実は、調理手順が変わるのだ。主役を温存して脇役よりも後に加えたい。どちらかといえば、トマトを主役にするべきなんだろうな。そう思えば、溶き卵は先に炒めることになる。

フライパンの底にふわーっとした黄色い卵が広がる。ちょっとだけ待って木べらでざっとかき混ぜ、空いたところにトマトを混ぜ入れて炒め合わせる。ここからは時間勝負。湯むきの時に長めに火を入れたから、手早く炒めるだけで温まる。あとは水溶き片栗粉でとろみをつけるだけである。

目の前に座る彼女は、突如とつじょ、自分がその場の主役におどり出て注目を集めることになった事態に、動揺を隠せないようだ。耐え切れなくなったのか、話を中断し、心の声を口に出した。

「ちょっとー、やめてよー。そんなにみんなで私の話に注目しないで!」

気持ちはわかる。わかるけれど、僕は何も言わず、ニヤニヤし続けたまま、目の前のトマトと卵炒めをまた口に運んだ。この料理、おいしいのだけれど、ちょっとアクセントが欲しいんだよな。そういうときは、脇役“クラフトスパイス”の登場である。クラフトスパイスとは、自由にスパイスをミックスしてパラパラとふりかける行為のこと。

ココナッツファイン、パプリカ、クミンを混ぜ合わせて振りかける。乾煎りしておくと香りが立つし、辛味を増したければ、パプリカをレッドチリにしたり、クミンをブラックペッパーにしたりしてもいい。ココナツの香ばしさがトマトの酸味、卵の甘みと相まってこの料理にグッと深みを与えてくれる。

もし、僕が彼女の立場だったら……と考える。ふとした瞬間に注目を集めることになったら、きっと心の中でガッツポーズをするんだろうな。腕が鳴るぜ、と。ただ、うれしい反面、申し訳ない気持ちも少しだけ宿る。この瞬間、この場の空気を自分が独り占めしてしまうことに対して。ふたつの気持ちを抱えながら独り舞台に立つ喜びをかみしめる。

そう、今、僕はトマトと卵炒めのトマトなのである。周りにいるみんなが卵であり、クラフトスパイスである。ありがとう。きっといい味わいを生み出せるはずだから。

彼女の話がひと段落したとき、僕は「お疲れさま」と彼女にねぎらいの言葉をかけたい気持ちを胸にしまって、別のことを考えた。トマトと卵炒めの主役は、やっぱり卵の方がよさそうだ。すなわち、トマトを先に入れて表面をこんがり焼きつけて、それから溶き卵を流し込む。するとトマトに卵が適度に絡み、なおかつ卵のふわっとした状態を保ちながら仕上げることができるからだ。

失敗だったな、今回の脳内調理は……。まあ、いいか。どっちにしろ、きっとスーパー脇役のクラフトスパイスがこの料理をおいしくしてくれるだろう。

◆トマトと卵の炒め物
【材料・2人分】
サラダ油 大さじ1
溶き卵 2個
塩 少々
砂糖 少々
トマト 2個
水溶き片栗粉 大さじ1/2
こしょう 少々
クラフトスパイス(半量程度を使用)
 ・ココナッツファイン 小さじ1
 ・パプリカパウダー 小さじ1/2
 ・クミンパウダー 小さじ1/2
【作り方】
クラフトスパイスはフライパンで乾煎りしておく。トマトはヘタを取り、熱湯にくぐらせて冷水にとり、皮をむいて大きめの乱切りにする。鍋に油を熱し、塩と砂糖を混ぜ合わせた溶き卵を加えて炒め、少し固まってきたらトマトを加えて炒める。水溶き片栗粉でとろみをつけ、器に盛ってクラフトスパイスをふる。

水野仁輔
水野仁輔(みずの・じんすけ)
カレー&スパイス研究家

 1974年静岡県浜松市生まれ。99年に男性12人の出張料理集団「東京カリ~番長」を結成。各地で食のライブキッチンを開催するほか、世界のスパイス料理やカレーのルーツを探求中。著書は40冊を超え、近著に「水野仁輔 カレーの奥義」(NHK出版)、「スパイスカレー事典」(パイインターナショナル)、「いちばんやさしいスパイスの教科書」(パイインターナショナル)、「幻の黒船カレーを追え」(小学館)など。2016年にスパイスをレシピとともに届ける「AIR SPICE」を設立。