人形焼 卵も餡もたっぷりのぽんぽこ狸

瀬戸理恵子のおやつ便り

夏の夜に、江戸のこわーいお話をひとつ。ある夕暮れのことでございます。お堀で釣った魚を魚籠びくに入れて、家に帰ろうと歩み出すと、お堀の中から「置いてけ、置いてけ」という恐ろしい声がするではありませんか。あわてて逃げ帰って魚籠を見れば、釣った魚はどこへやら。跡形もなくなっていたのでございます……。

これは、江戸の伝承話「本所七不思議」のひとつとして知られる、ご存じ「置いてけ堀」の物語。錦糸町「山田家」では昭和26年(1951年)頃から、この「本所七不思議」にまつわる人形焼を作り続けています。当初は七つのお話にまつわる7種類のモチーフがあったそうですが、今残るのは、「置いてけ堀」のたぬきと、「津軽の太鼓」の太鼓のみ。もう、お分かりですね? 先ほどのお話で魚をった犯人は(河童かっぱの仕業という説もありますが)、狸だったのです!

そんな悪さをしながらも、狸ときたらどこ吹く風のおとぼけ顔で、おなかはぽっこり、どこかユーモラスでチャーミング。「たとえだまされたとしても、こんな狸が犯人ならば愛らしいし、許せる気がしますよね」と、「山田家」2代目の山田昇さんはほほ笑みます。型は、オリジナルで製作されたものを使い続けているのだとか。ちなみに、漫画家で江戸文化研究家の宮尾しげをさんによって包装紙に描かれた、本所七不思議の楽しいイラストも必見です。

人形焼に使う材料にもとことんこだわり、卵の風味豊かでしっとり、まろやかな生地には、濃厚で新鮮な奥久慈卵と良質な蜂蜜がぜいたくに使われています。そして狸のおなかには、北海道産小豆と極上のザラメ、アルカリイオン水を使って炊き上げられたこしあんが、はち切れんばかりにたっぷり。さらりとみずみずしく、上品な甘さが後を引きます。

「うちはもともと卵問屋なんです。だから卵はもちろん、いい材料を安く手に入れることができてぜいたくに使える。それをまた、お客様に安く提供できるというわけです」と山田さん。保存料も添加物も一切使わず、その日に焼き上げたものはその日のうちに販売。こし餡とともに、職人のこだわりと真心をギュギュッとおなかに詰めて笑顔を運ぶ、愛らしさいっぱいのぽんぽこ貍です。

人形焼(貍)
  130円(税込み)
店舗 山田家
東京都墨田区江東橋3-8-11
電話 03-3634-5599
営業時間 10:00~18:00
水曜、1月1日休

瀬戸理恵子(せと・りえこ)
フードエディター・ライター

 1971年東京都生まれ。銀行勤務を経て2000年にパリへ製菓留学し、エコール・リッツ・エスコフィエ、ル・コルドン・ブルー パリで菓子ディプロムを取得。ピエール・エルメ氏のもと研修を重ねる。2001年帰国し、月刊誌「料理王国」、「料理通信」の編集部を経て、2009年独立。お菓子を中心にフリーランスのフードエディター・ライターとして活動中。監修・共著に「東京手みやげ 逸品お菓子」(河出書房新社)など。このほか、「『オーボンヴュータン』河田勝彦の郷土菓子」(誠文堂新光社)など、パティシエの書籍製作も手がける。

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