つらいことがあったら、できるだけ忘れるようにしている。
傷は負うが、その傷が癒えるまで触らない。傷口とじっくり向き合って痛みをかみしめるほどマゾヒストではないし、噛みつき返すほどサディストでもない。傷ついた部分は放置して、まるでもう一人の自分がいるかのように別の楽しみに向かうのだ。そんなときは、キャンプにでも行くのがいい。自然と戯れれば、ネガティブな気持ちは消えていく。
まあ、つらかろうがつらくなかろうが、こうも暑いとキャンプに行きたくなるもんだ。週末に新潟の海辺へキャンプに出かけることにした。
キャンプやアウトドアのときに、僕が必ず持参する食料がある。そうめんとスパイスである。なんだかへんてこな取り合わせのように聞こえるかもしれないが、「スパイス=薬味」と置き換えればしっくりくるだろう。
泊まった翌朝に食べる“冷製そうめんのスパイス和え”がなかなかいい。作り方は異様なほど簡単である。そうめんを湯がいて水で洗い、ざるにあげて油をまぶし、スパイスと塩を振りかけるだけ。これがうまい。
たいてい余っている肉や野菜があるから、即興でそうめんは豪華にできあがる。たとえば、バーベキューで余った豚肉のスライスや玉ねぎ、トマトなんかがあったりする。この時期なら、川沿いを歩けば、みょうがを見つけることもできるかも。豚肉は湯がいて、野菜は適当なサイズに切る。
ボウルにドサッと加え、ゴマ油と塩を振って混ぜ合わせる。
そういえば、つい最近、とあるカレー店の社長が面白いことを言っていた。
「水野さん、自分に向かって飛んでくる槍はね、刺さってもまともに受け止めちゃダメなんですよ」
「え!? よけるんですか?」
「よけられない槍がある」
「じゃあ、どうするんですか?」
「刺さっても前から後ろへ通しちゃう」
彼は商売で直面する困難への対処方法を教えてくれたつもりだったが、僕はつらいこととの向き合い方として、その言葉を理解した。 あのとき僕は忘れていた。「その後、痛みを忘れるためにはどうしたらいいですか?」と尋ねてみればよかった。
スパイスを準備する。クミンシードとレッドチリパウダーは、持参していくつもりだ。酒のつまみに、と誰かがミックスナッツを持ってくるだろう。少しだけ取り分けておいて、まな板の上で刻む。
包丁でザクザクとすれば、不揃いなナッツたちができあがる。その調子でクミンシードも包丁でガリガリ。粗びきなクミンたちもできあがる。レッドチリと一緒に混ぜ合わせると、風味も食感も個性豊かなミックススパイスができあがる。
これを料理の仕上げにふりかけるのだ。自由にスパイスをミックスしてパラパラとふりかける行為を、僕は「クラフトスパイス」と呼ぶことにした。これだけで素材の持ち味が引き立ち、調味料が必要ないほどおいしく味わえる。ナッツやクミンの香味の奥に、ピリピリとしたチリの辛みが潜んでいて、淡泊な味わいのそうめんが様変わりするのだ。
組み合わせる素材やスパイスが違うだけで全く別のテイストが楽しめるのも、このレシピのいいところ。さあ、イメージトレーニングはバッチリだ。
数名のカレー店シェフと一緒にでかけた新潟のキャンプ場には、“突き師”が何人も集まってくれていた。彼らが“槍ならぬ銛”を持って海に潜り、捕れた魚で僕らがカレーを作る。捌こうとした魚の皮面に、銛の先が突き刺さった痕が目に入った。うう、痛い。忘れていたはずのつらいことが、ふと顔を覗かせる。
でもさ、突かれてまな板に置かれてしまえば、痛みを忘れることも覚えていることもできないんだな……。おいしく料理しようと気持ちを引き締めた。食後は夜遅くまで酒を飲みながら語らった。
翌朝、いよいよ、そうめんの出番である。頭の中で思い描いた通りに手を動かせば、みんなのための朝食ができあがる。スパイスを手に水場に行って、ケースの中をガサゴソとやって僕は唖然とした。そうめんを持ってくるのを、忘れたのである。
「それは忘れないでよ……」
思わず独り言が漏れる。忘れたいことは忘れられず、忘れてはならないことは忘れてしまう。まあ、人生はそんなものなのかもしれない。