カレーとシチューの違いとは 運命を分けるスパイス

水野仁輔のスパイスレッスン52

 ビーフカレーとは、カレーの香りがするビーフシチューである。

  僕がやっている「カレーの学校」で、毎期かならず初回の授業の冒頭にこれをスライドいっぱいに映し出す。ほとんどの生徒さんが「?」という顔をする。そこから90分かけて「カレーとは何か?」について掘り下げ、授業の最後にもう一度、この一文を投影すると、みんな「!」と納得するのである。

 スーパーで巨大な牛肉の塊を見つけたら、じっくり煮込みたくなってしまう。そのときにビーフカレーを作るか、ビーフシチューを作るかの運命を分けるのは、僕の場合、気分である。他に理由があるとすれば、「スパイスが足りない」とか「カレー粉がない」とか。ただ僕に限って言えば、そんなことはあり得ない。だから、気分次第となる。

 問題は、ビーフカレーでもビーフシチューでもない、その中間のような料理を作りたくなった時だ。

 肉を大き目のひと口大に切りながら考える。この肉にカレー粉をまぶしたらビーフカレーになってしまう。塩こしょうをふったらビーフシチューになってしまう。意外にも下準備の段階でいきなりカレーかシチューかの選択を迫られるのだ。

 いやだ、どっちもいやだ。そう思った僕はガラムマサラを手に取った。ガラムマサラは主にインド料理に使われるミックススパイスのひとつで、カルダモン、クローブ、シナモン、ブラックペッパー、クミン、コリアンダー、フェンネルなどなどが混ざり合っている。ブラックペッパーほど単調な香りではない。かといって、その配合が独特なため、それだけでカレーの香りを生み出せるものでもない。

 肉にたっぷりとふりかけてまぶし、しばらく置く。その間に玉ねぎをバターでいためるのだ。こんがりと表面が色づき、玉ねぎがくたっとやわらかくなったら肉を加えて炒め、赤ワインを注ぐ。このあたりですでにビーフシチューの香りがそこはかとなく漂うが、いつもと違うのは、ガラムマサラの効果でより深い香りがすることだ。

 デミグラスソースの缶詰とトマトピューレを加えたら、その段階ですでに見た目はビーフシチューである。野菜を加えて水を注ぎ、煮込み始める。「じっくり煮込みたい」とスーパーで思ったのだから、ここから先は本当にじっくり煮込めばいい。ふたをするのも悪くないが、水分量の加減をコントロールしながら優しく煮込みたいから、ふたを開け、たまに鍋中をかき混ぜながら煮込むのが好きだ。

 煮込み時間はたっぷりあるのだから、好きなことをして待てばいい。たいてい僕の場合は、いろんなことの妄想を膨らませる。かけがえのない時間になる。

 聞く人に「?」とあえて疑問を持たせてから詳しく解説をし、「!」と納得してもらう手法は、トークやスピーチの常とう手段のひとつである。「そのココロは?」で知られる“なぞかけ問答”があるように、「?」で人の注意を引き付けて「!」と好奇心に応えるのは、昔から使われてきたのだろう。「?」のインパクトが大きければ大きいほど「!」の喜びも膨らむ。間をつなぐ解説にどの程度の時間を要するかは内容次第だ。

 この料理だってそうだ。「ビーフシチューを作ったよ」と言って差し出し、食べた人が「?」となったときに「実は牛肉にガラムマサラをまぶしたんだ」となれば、「!」と納得し、さらにおいしく味わってもらえるだろう。ただ、不思議なことに差し出すときのセリフを間違えるとうまくいかない。「ビーフカレーを作ったよ」と言って差し出し、食べた人が「?」となったときに「実はガラムマサラを……」と説明したら、「??」と「?」が増幅してしまう。「ガラムマサラの前にちゃんとカレー粉を入れてよ」と突っ込まれてしまうかもしれない。

 だからこの料理は、ビーフカレーではなく、あくまでも、いつもよりとびきり香り高く深い味わいのある“ビーフシチュー”だということだ。

 そろそろ煮込みが完了しただろうか。煮込み始めたときよりもとろみが強くなり、色合いも濃くなっているはずだ。肉も野菜も驚くほど軟らかいビーフシチュー。食べた人から大きな「!」をもらえるに違いない。

 こういう料理は一度にたくさんの量を作ったほうがいいと思う。喜んでくれる人が増えるし、2時間という煮込み時間はどうせかかるのだから、あっという間になくなってしまう量を作るのではもったいない。半分くらいは粗熱を取って密閉容器に入れ、冷蔵庫で保存して明日か明後日に食べることにしよう。できたてのビーフシチューは、好きな人を呼んで一緒に食べられたら最高だ。会話も弾むに決まっている。

 「ボクは死んじゃうかもしれないな」

 「?」

 「もしキミに会えなくなるときが来たら……」

 「!」

 きっと嫌われるんだろうな、こんなこと言ったら。楽しい食事での会話にも「?」と「!」の法則は有効活用すべきだけれど、使い方にはご注意を。納得したときの「!」もある一方で、あきれたときの「!」もあるということを頭に置いておかなければならない。

    ◆ビーフシチュー
    【材料・5~6人分】
     牛バラ肉(大き目ひと口大) 700g
     下味
      ・ブラックペッパー(粗き) 適量
      ・ガラムマサラ 小さじ1
      ・小麦粉    適量
      ・塩      小さじ1強
     バター 40g
     玉ねぎ(くし形切り) 1個
     赤ワイン       200ml
     トマトピューレ    大さじ4
     デミグラスソース   1カップ強(250g)
     にんじん(乱切り)  1/2本
     じゃがいも(半切り) 2個
     水 500ml
    【作り方】
     牛肉に下味の材料をまぶしておく。鍋にバターを熱し、玉ねぎを加えて表面がこんがりするまで炒める。牛肉を加えて表面が色づくまで炒める。赤ワインを注ぎ、煮立ててアルコール分を飛ばす。トマトピューレとデミグラスソースを加え、にんじんとじゃがいもを加えて混ぜ合わせる。水を注いで煮立て、弱火でふたをせずに2時間ほど煮込む。

    水野仁輔
    水野仁輔(みずの・じんすけ)
    カレー&スパイス研究家

     1974年静岡県浜松市生まれ。99年に男性12人の出張料理集団「東京カリ~番長」を結成。各地で食のライブキッチンを開催するほか、世界のスパイス料理やカレーのルーツを探求中。著書は40冊を超え、近著に「水野仁輔 カレーの奥義」(NHK出版)、「スパイスカレー事典」(パイインターナショナル)、「いちばんやさしいスパイスの教科書」(パイインターナショナル)、「幻の黒船カレーを追え」(小学館)など。2016年にスパイスをレシピとともに届ける「AIR SPICE」を設立。