かけがえのない存在になりたい ガパオライス

水野仁輔のスパイスレッスン45

 この世の中にかけがえのない存在なんて、あるのかな。

 いやね、ついこの前、気になっている女性にこんなふうに言われたんだ。

 「私、わかったことがあるの。あなたみたいな人は、他のどこにもいないんだって」

 すごくない? もう、うれしくてさー! 男だったら死ぬまでに一度だけでもいいから言われてみたいセリフでしょ。舞い上がっちゃって、舞い上がっちゃって。ほら、フラワーカンパニーズってバンドの曲に「深夜高速」ってのがあるでしょう? 「生きていてよかった~」って連呼するやつ。完全にあの気持ちだったね。それでね、僕はルンルン気分でキッチンに立ったんだ。

 フライパンを左手に持って、右手には生卵。ちょっとカッコつけて片手で割っちゃったりなんかしてさ、多めの油で揚げるように目玉焼きを作るの。

 できあがったら皿に取り出しておいてね、空いたフライパンでにんにくと唐辛子をいためて鶏肉を細かく切ったやつを加えて炒める。

 ちょっと手が空いたところで、調味料の準備をしたのさ。オイスターソース、ナンプラー、しょうゆ、砂糖をカチャカチャ混ぜたんだ。

 もうわかるでしょう? いったい何を作ろうとしているのか。そうだよ、ガパオライスだよ! タイ料理の人気メニュー。普段、タイ料理なんてめったに作らないんだけどね。だから「ああ、俺、浮かれてるんだなぁ」なんて思ったよ。そう、普通じゃない状態だって自覚していたんだよ。

 ガパオライスに欠かせないハーブは何か知ってる? ホーリーバジルっていうんだ。ただのバジルの葉じゃないんだよ。ホーリーなバジル。いい香りなんだ。スーッと胸をすくような感じがしてね。ああ、バンコクの街角を思い出すなぁ。

 あれがないとガパオライスはできない。まさにかけがえのない存在。錦糸町のタイ料理屋に行ったときにタイ人のおばちゃんなんかこんなこと言ってたよ。「日本で育ったホーリーバジルは香りが弱い。土が違うからダメなんだ」って。

 話は戻るけどね、彼女にとっての僕は、ガパオライスにとってのホーリーバジルみたいなものなのかもなぁ、なんて考えちゃってさ。思わずキッチンで独り、ニヤニヤしちゃったよ。

 鶏肉の表面がキッチリ色づいてきた。小さく切ってあるから火が通るのは早いんだ。玉ねぎとピーマンを加えてざっと混ぜ合わせるとね、鍋の中がきれいなんだよ。野菜は火を通しすぎちゃダメ。しんなりする前に次に進む。食感を少し残したいんだよね。

 調味料をジャーッと加えたら一気にタイ料理のフレーバーが立ち上るよ。ナンプラーってすごい調味料だよね。ひと振りで鍋の中の景色を変えちゃうんだから。「ああ、俺はガパオライスにおけるホーリーバジルじゃなくて、ナンプラーでもいいのかもな」なんて頭をよぎったりしてね。あれだってかけがえのない存在だもの。

 さあ、仕上げに取りかかろう!と思ってホーリーバジルを取りに行ったとき、事件が起こったんだ。ホーリーバジルが、ないの。ない。ホーリーバジルじゃなくて、スイートバジルしかない。スーパーなんかに割とよく売ってるバジルだよ。言うなれば、代わりがいくらでもいそうなスイートバジルしかないんだ。

 急にテンションが下がっちゃってさ。でも、とっさに思いついて、粗きのブラックペッパーを一緒に加えることにしたの。あのホーリーバジルのスーッとした爽快感をブラックペッパーで補えるんじゃないかと思ったんだよね。

 できあがったガパオライスを皿に盛って、食べてみてびっくり! うまいんだよ。うまい。そうか、ホーリーバジルがなくても、「スイートバジル+ブラックペッパー」で代用できるんだ。いや、代用なんて後ろ向きな味じゃなかったな。もしかしたら、こっちのほうがうまいかもって味だったんだ。

 でもね、食べ終わった皿を洗いながら、ふと彼女のことを思い出したら、なんか心がザワザワしてきたんだ。あれ? 待てよ、待てよ。ホーリーバジルはかけがえのない存在だったはずじゃないのか? あれ? おかしいな。ホーリーバジルみたいな香りのするハーブは他にない。絶対にない。でも、ホーリーバジルよりもガパオライスをおいしくするスパイスは他にもあるってことになるよな……。

 「私、わかったことがあるの。あなたみたいな人は、他のどこにもいないけれど、あなたよりもいい人は他にもいるんだって」

 次に会ったときに僕は彼女にそう言われるんじゃないだろうか。どうなの? どう思う? この世の中にかけがえのない存在って、本当にあるの? 誰か、教えて。

◆ガパオライス
【材料・2人分】
 植物油 大さじ2
 にんにく(みじん切り) 1片(10g)
 赤唐辛子(割って種を出す) 2
 鶏もも肉(包丁でたたく) 250
 玉ねぎ(スライス) 小1/4個(50g)
 ピーマン(細切り) 小1個(50g)
 赤ピーマン(細切り) 小1個(50g)
 調味料
 ・しょうゆ 小さじ2
 ・ナムプラー 小さじ2
 ・オイスターソース 小さじ2
 ・砂糖 小さじ1
 スイートバジル(適当にちぎる) 20
 ブラックペッパー(粗挽き) 小さじ1/2
 卵(目玉焼きにする) 2
 ごはん 2膳分
【作り方】
 フライパンに油を熱し、にんにくと唐辛子を加えて炒める。鶏肉を加えて表面が色づくまで炒め、玉ねぎ、ピーマン、赤ピーマンを加えてさっと炒め、調味料を加える。スイートバジル、ブラックペッパーを混ぜ合わせる。器に盛って目玉焼きを乗せる。

水野仁輔
水野仁輔(みずの・じんすけ)
カレー&スパイス研究家

 1974年静岡県浜松市生まれ。99年に男性12人の出張料理集団「東京カリ~番長」を結成。各地で食のライブキッチンを開催するほか、世界のスパイス料理やカレーのルーツを探求中。著書は40冊を超え、近著に「水野仁輔 カレーの奥義」(NHK出版)、「スパイスカレー事典」(パイインターナショナル)、「いちばんやさしいスパイスの教科書」(パイインターナショナル)、「幻の黒船カレーを追え」(小学館)など。2016年にスパイスをレシピとともに届ける「AIR SPICE」を設立。