山椒をきかせて しびれる麻婆豆腐

水野仁輔のスパイスレッスン42

 「麻婆マーボー豆腐はカレーですか?」

 唐突に僕はそう尋ねられたことがある。NHKの長寿番組「きょうの料理」に出演した際、収録間際にアナウンサーが口を開いた。正確に言えばこんな感じだった。

 「僕は麻婆豆腐はカレーだと思っているんですけども、そのことについて水野さんはどう思いますか?」

 本番直前、あまりにとっさのことで半ば動揺してしまったが、思いのほか冷静に正解を答えた。

 「麻婆豆腐は、麻婆豆腐ですよ」

 「で、ですよね……」

 会話は終了し、本番が始まった。僕は予定通りのカレーを作った。

 つい最近、中国・四川の成都へ行ってきたのは、くだんの疑問に本当の答えを出すためだ。いくらなんでも冷たすぎる回答だったかな、と気になっていたし。空港に到着したのは夜。成都のホテルにチェックインすると、レストランは閉店していた。部屋にあるメニューブックに「麻婆豆腐」の文字を見つけてルームサービスをお願いする。運んできたボーイと話した。

 「僕、四川料理が大好きなんですよ」

 「そうなんですか! うれしいです」

 「ここに来たのは、麻婆豆腐を食べるためなんです」

 「じゃあ、あなたのために、特別にクッキングクラスを準備しますよ」

 まさかの展開になった。翌日、僕は、ホテルのコックコートにそでを通し、調理場に立ったのである。料理長と通訳のシェフ、その他のシェフたちも見守る中、麻婆豆腐クッキングが始まった。

 豆腐は湯で煮てある。フライパンに油を熱し、にんにくとしょうが、豆板醤トウバンジャンを加えて炒める。

 「豆腐は木綿よりも絹ごしがいい。口当たりがなめらかだから」

 挽肉ひきにくをほんの少量、加えていためる。

 「うちは牛挽肉を使っている。豚挽肉でもかまわない」

 ひとつひとつのプロセスに細かい解説が入る。粗びきの唐辛子は、なんとも香りがよく、スーッと吸い込んで僕は思わず目を閉じた。豆豉ソースはうま味の素。ずらっと準備した材料をひとつひとつ順に加えていくだけで、いとも簡単に麻婆豆腐が仕上がっていく。調理プロセスを頭の中で反芻はんすうしながら観察を続ける。

 ふと、東京にいる友達の顔が浮かんだ。カレー店でシェフたちが集まる会合を終えた後、新宿へ向かう電車で同行した彼女は、独り言のようにつぶやいた。

 「わたし……」

 少し驚いて隣に座る彼女のほうに顔を向けると、続けてこんなことを言ったのだ。

 「この前、ランチに麻婆豆腐を食べたんです。食べながら、『この料理をカレーじゃないと証明するのは難しいかも』と思ったんです」

 またも僕は麻婆豆腐の不意打ちを食らった。テレビ局のアナウンサーに続いて二度目である。彼女はスパイスに関わる仕事をしている人だから、ちょっと違う視点を持っているようだった。油にスパイスを加え、香りと味を重ねていって、最後に水分と具である豆腐を加えて煮る。仕上げにまたスパイスを加える。その調理プロセスだけをみたら、これはカレーそのものじゃないか。

 そういう意味では、麻婆豆腐はカレーなのかもしれないね。揺れる電車の中でそんな話をした。

 目の前でテンポよく進んでいく調理は、確かにスパイスを使ってカレーを作るときの鍋中に酷似している。湯を加えて煮始めたフライパンに、フルフルになった豆腐が入った。そこにはもう見慣れた麻婆豆腐の姿があった。オレンジ色の油が表面に浮き上がってきて美しい。水溶き片栗粉を溶かし混ぜ、最後に山椒さんしょうをふりかけた。伝家の宝刀。これで、スッとする香りとビリビリとしたしびれが混ざり込む。

 料理長のデモンストレーションが終わった後、僕が同じ材料で同じように作ることになった。見ていた通りに手を動かす。まもなく、おいしそうな麻婆豆腐が仕上がった。着替えてレストランの窓際の席に座り、スパークリングワインを頼んで一緒に食べる。味わいながら考えた。

 麻婆豆腐はカレーなんだろうか? ほろ酔い加減で下した結論は、こうである。味わい的にはカレーではないが、調理プロセス的にはカレーである。帰国後、僕はふたりに別々の結論を伝えなくてはならなくなった。

 彼には「麻婆豆腐は麻婆豆腐でしたよ」、彼女には「麻婆豆腐はカレーだったね」。自分で自分のことが信用できなくなりそうだな。

◆麻婆豆腐
【材料・3~4人分】
 豆腐 130g
 油 大さじ3
 にんにく(みじん切り) 小さじ1
 しょうが(みじん切り) 小さじ1
 豆板醤(なければ味噌みそ) 大さじ1
 牛挽肉(もしくは合挽肉) 50g
 唐辛子(粗びき) 大さじ1 
 豆豉ソース(なければしょう油) 小さじ2
 湯 200ml
 にんにくの芽(もしくはニラ) 適量
 塩 少々
 水溶き片栗粉 大さじ1強
 花椒(四川山椒・あれば) 小さじ1強
【作り方】
 豆腐は、沸騰した湯につけておく。鍋に油を熱し、にんにくとしょうがを加えてさっと炒め、豆板醤を加えて炒める。牛挽き肉を加えてシッカリ火が通るまで炒める。唐辛子を加えて炒め合わせ、豆豉ソースを加えて混ぜ合わせる。湯を注いで煮立て、豆腐を加えて、グツグツと3分ほど煮る。塩で味を整え、ニラを混ぜ合わせる。水溶き片栗粉を加えてとろみをつけ、花椒を振りかける。

水野仁輔
水野仁輔(みずの・じんすけ)
カレー&スパイス研究家

 1974年静岡県浜松市生まれ。99年に男性12人の出張料理集団「東京カリ~番長」を結成。各地で食のライブキッチンを開催するほか、世界のスパイス料理やカレーのルーツを探求中。著書は40冊を超え、近著に「水野仁輔 カレーの奥義」(NHK出版)、「スパイスカレー事典」(パイインターナショナル)、「いちばんやさしいスパイスの教科書」(パイインターナショナル)、「幻の黒船カレーを追え」(小学館)など。2016年にスパイスをレシピとともに届ける「AIR SPICE」を設立。