長野から立派な紅玉が届くと連絡があったのは、鳥取へ行く3日前のことだった。
「M子ちゃん、覚えてます? 彼女の実家がりんご農家で、今年の紅玉を送ってくれるそうです」
Y子さんからそうメールがあった。完熟していて日持ちしないから、届いたらすぐ食べるのがいい、とのこと。
「ありがとう」
住所を伝えながらも疑問が残る。
「どうして? りんごを? 僕に?」
「前に水野さん、M子ちゃんと会ったときに『りんごカレーを作るよ』って約束していたでしょう?」
「あ、ああ」
「M子ちゃん、義理堅いところあるから」
りんごカレーを作る約束、したんだっけかな……。
長野から立派な紅玉が届いたのは、鳥取へ行く前日のことだった。段ボールを開けて驚いた。5キロほどのりんごがどっさり。どれも真っ赤に熟れている。ひとつを手に取ってかぶりついた。サクッとしてジューシー。口の中に甘味が広がり、幸せになった。そういえば、熟したりんごを食べるのは今年初めてのことだ。
あっという間にひとつを食べ終わり、ふたつめを手に取ろうとしてふと我に返った。僕は明日からイベントで鳥取へ行くのだ。4日後、帰宅したときまで、りんごをこのまま置いておくわけにはいかない。かといって、残り4.7キロほどのりんごで独り大食い選手権を開催するわけにもいかない。
りんごカレーを作ると約束したのだから、カレーにして冷凍することも考えたが、連日の出張続きでカレーを作るほどの気力も体力も残っていなかった。困り果てた僕は、このりんごたちを使ってコンポートにすることにした。
コンポートだなんて言うと洒落た響きがあるけれど、要するにフルーツを砂糖水で煮ただけのものである。ジャムやコンフィチュールと呼ばれるものに似ているが、そこまでどっさり豪快に砂糖を入れることもないし、煮詰めるようなこともしない。
保存食ではないから冷蔵しても持つのは数日ほどだが、完熟したフルーツを少しでも長持ちさせるにはいい方法と言える。何より調理が簡単で時間がかからないのがいい。
準備したスパイスは、シナモンとスターアニス(八角)。このふたつさえあれば、たいていのフルーツはおいしいコンポートになる。ワインは赤と白の2種類を準備した。調理と呼べるようなものはない。ただ、鍋に入れて落とし蓋をし、煮るだけである。赤ワインのほうにだけりんごの皮を加えた。赤い色素がより濃く出るから、りんごがきれいに色づくのだ。
できあがったら粗熱を取って鍋ごと冷蔵庫に入れ、僕は眠りについた。煮物やおでんが冷えていく過程で味をしみこませるように、コンポートもひと晩漬け込むことでより味わい深いものになるんじゃないかと思ったからだ。
朝食に紅玉のコンポートを食べる。生でかじったときとはまた別の味わいだ。優しくふくよかな風味と甘味。もろくはかないりんごの食感に愛しさがこみあげてくる。ごくりと喉元を過ぎると鼻腔からシナモン、スターアニスの奥深い香りが控えめに抜けていった。目を閉じるとM子ちゃんの顔が浮かぶ。長野を訪れてみたくなった。
りんごカレーを作る約束、したような気もするな……。
おっといけない、空港に行かなくちゃ。僕は残ったコンポートを汁ごとすべて密閉袋に入れ、家を出た。
長野から届いたりんごをコンポートにして鳥取に持っていく。イベント用のチキンカレーを仕上げるときにそのまま鍋に加え、そっと煮込んだ。りんごやワインの風味と適度な砂糖の甘みが隠し味となって、上品なカレーが仕上がった。
イベント会場へ持ち込むとお客さんが待ち構えている。鍋をコンロにセットし、準備をしながら立ち並ぶ人垣に目をやると、なんと、そこにはM子ちゃんがいるじゃないか!!
……なあんて、世の中はうまくいくものではない。東京に戻ったらM子ちゃんに報告することにしよう。
「おかげで約束通り、おいしいりんごカレーが作れたよ。ありがとう。いつかまた作りますね」
贅沢な朝食をゆっくり堪能してしまったがために、予定していた飛行機に乗り遅れたことも併せて報告するべきかどうか、これから考えたい。
◆紅玉のコンポート
【材料・4人分】
紅玉 2個(600g)
材料A
・白ワイン(または赤ワイン) 250ml
・水 300ml
・砂糖 80g
ホールスパイス
・シナモン 1本
・スターアニス 1個
【作り方】
りんごの皮を剥いて軸を落とし、8等分に切る。鍋に材料Aを加えて煮立て、スパイスとりんごを加えて落とし蓋をし、弱火で30分ほど煮る。そのまま冷まして器に盛る。