脂がのったサンマをマサラ焼きで

水野仁輔のスパイスレッスン36

 人生は選択の連続だ。

 二つのものが並んでいれば右を選ぶか左を選ぶかで悩み、二つに道が分かれていれば右へ進むか左へ進むかで迷う。そうやって誰もが生きている。

 スーパーへ足を運んだ僕だって、同じだ。鮮魚コーナーへ行くと、「新物!」と書かれたサンマが売られている。秋の風が吹き始めたちょうどこの頃から、旬の味覚としてサンマが出回り始める。4尾で700円。まあ、そんなところだろう。

 買い物かごに入れようとすると、冷蔵ケースの右奥に巨大な魚が目に入った。サンマの2倍ほどのサイズがあり、丸々と太っている。見たことのない魚だが、値段を見ると2尾で600円とある。なんと、安いではないか!

 一瞬、買い物かごに入れたサンマを取り出そうとして、はたと考えた。僕はどちらを買うべきなんだろうか。値段は高いが食べたいサンマを選ぶべきか、値段は安いが食べたくない見知らぬ魚を選ぶべきか。

 結論を出すのにそう時間はかからなかった。100円の差だし、食べたいものを買うべきだ。1000円違っていたら売り場で10分は悩んだかもしれない。人生の選択でたいてい間違えてきた自覚のある僕は、今回ばかりはスッキリとした気持ちでレジへ向かったのである。

 サンマという魚はこの時期からしばらくの間、脂がのっているからスパイスとの相性がいい。カレーに使うスパイスたちの精油成分の多くは油脂分に溶けだして定着する性格を持っているから、一緒に調理すればサンマの香りとスパイスの香りの競演を存分に楽しめるのだ。

 スパイスでカレーを作るときに僕が「四種の神器」と呼んでいるスパイスたちをそろえる。ターメリック、レッドチリ、コリアンダー、クミン。この4種があれば、かなりのバリエーションでカレーを作って楽しめる。そして、この組み合わせはサンマもおいしくしてくれる。

 マサラペーストなるものを作り、サンマに塗りたくる。こういう作業は無心になれていい。サンマという魚は、本来、ただ焼けば十分おいしく食べられるものだし、もっといえば、ただ焼くのが一番おいしいかもしれないものだ。焼くというプロセスは魚焼きグリルを使ってしまえば何の技術も要らない。だからその分、下準備は念入りにしたい。とにかく余計な水分を拭きとってペーストを丁寧にすり込んでいくのが肝心だ。このまま冷蔵庫で1時間ほど寝かせると風味がしみ込んでおいしくなる。

 単純な作業に見えるけれど、実は、細かい選択が連続している。頭を切り落とすべきか否か。ワタを取り除いた後に切り開くか否か。人生は選択の連続ではあるが、選択しなくていい場合もある。サンマが4尾あるなら、半分を開き、半分を開かない。開かないサンマのうち1尾の頭を落とし、もう1尾はつけたままにする。すべてのケースを選択できるのだ。優柔不断な人間には優しい選択肢も用意されているのである。

 焼き方も魚焼きグリルを使うかフライパンを使うかを選ばなくていい。まずは開いたサンマを魚焼きで焼いてみる。うちのグリルだと自動的に焼き時間も設定されるため、そのまま放置していたら薄い部分が焦げてしまった。悪くはないが、開かずフライパンで焼くのがよさそうだ。

 フライパンのサイズに合わせてサンマを半分に切る。ごま油を熱したら焼き始めるのだが、実は、ここで大事なポイントがある。魚というのは、通常、左に頭、右に尾となるように盛り付けるのが美しいということになっている。少なくとも日本では。もちろんそのとき、手前に腹、奥に背となる。逆にしてしまっては。なんともおさまりが悪いのだ。

 このときに人生の選択を発動してはならない。左か右かは決まっているのだから。最初に焼いた面をひっくり返すときれいに盛り付けられるから、盛り付け面が下になるように並べて焼くのがいい。こんがりと焼き色がついたら一度だけ裏返しにする。そうすれば、美しい焼き上がりを確認しながら蒸し焼きに入り、そのままそっと皿に盛りつけられるのだ。

 たまたま、佐賀の農家さんから届いたパクチーがあったので、どっさり盛り付ける。パクチーベッドにサンマをのせると、いくつもの香りが皿の上に立ち上り、思わず目を閉じてしまいたくなる。これからの時期は、サンマがうまい。いまはまだ「新物」だが、値段はもう少し安く出回るようになるだろう。

 そういえば、あのスーパーで隣のレジに並んだおじさんのかごには、あの得体のしれない巨大魚が入っていた。2尾で600円のやつである。それを見た店員のおばさんが、レジを打ちながら素っ頓狂な声を上げた。

 「あら! 安いですね~、この魚!」
 「そうなんですよ、これは買うしかないなって思ってね」

 4尾で700円を支払う僕は、またしても人生の選択を間違えたのかもしれない。あのときは後悔の気持ちがよぎったが、こんなにおいしいサンマを食べられるんだから、今回ばかりは自信を持ちたいと思う。

◆サンマのマサラ焼き
【材料】
 サンマ 3~4尾
 塩 少々
 マサラ用パウダースパイス
  ・ターメリック 小さじ1
  ・レッドチリ(またはパプリカ) 小さじ1
  ・コリアンダー 小さじ1
  ・クミン 小さじ1
 にんにく(すりおろし) 1片
 しょうが(すりおろし) 1片
 レモン汁 1個分
 小麦粉 少々
 ごま油 少々
 パクチー(ざく切り・あれば) 適量
【作り方】
 サンマはウロコを落とし、ワタを取り除き、さっと洗ってペーパータオルで水気を拭きとって塩を振っておく。マサラ用のスパイスとにんにく、しょうが、レモン汁をよく混ぜ合わせ、サンマに塗り込み、冷蔵庫で1時間ほど寝かせる。表面に小麦粉をうっすら振っておく。フライパンにごま油をしき、盛り付ける面を下にして中火で2~3分ほど焼き、裏返してふたをして弱火で5分ほど蒸し焼きにする。

水野仁輔
水野仁輔(みずの・じんすけ)
カレー&スパイス研究家

 1974年静岡県浜松市生まれ。99年に男性12人の出張料理集団「東京カリ~番長」を結成。各地で食のライブキッチンを開催するほか、世界のスパイス料理やカレーのルーツを探求中。著書は40冊を超え、近著に「水野仁輔 カレーの奥義」(NHK出版)、「スパイスカレー事典」(パイインターナショナル)、「いちばんやさしいスパイスの教科書」(パイインターナショナル)、「幻の黒船カレーを追え」(小学館)など。2016年にスパイスをレシピとともに届ける「AIR SPICE」を設立。