30歳会社員です。別れて5年になる同い年の元婚約者がいます。
付き合って1年たった時にプロポーズされ、双方の両親にあいさつを済ませました。しかし彼の「まだ結婚できない。もっと遊びたい」という理由で振られました。
「なんという理由なんだ」とあきれ、婚約は白紙となりました。
しかし婚約破棄の翌年、彼から「(私とは)切っても切れない縁を感じる」と言われ、私も同様に感じていたため、その言葉が心の奥にしみついて離れません。5年たった今でも、彼と共に生きたい気持ちが消えないのです。
彼とは年に数回ほど恋愛を含めた近況の連絡を取り合っていますが、ここ数年、復縁の話は出ません。
私の周囲は、未婚で彼氏のいない私を気にかけてすてきな男性を紹介してくださるのですが、申し訳ないことになかなか気持ちが向きません。
結婚して人生を誰かと共に生きたいという気持ちがあるので、彼のことは早々にあきらめるべきと頭ではわかっているのですが、「縁」という言葉が心から離れません。
今後、私はどうしたら良いでしょうか。友達にも家族にもあきれられるのがわかっているので、他には相談できません。どうぞよろしくお願いいたします。
(ハンドルネーム:かなえ)
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A:「縁」という言葉に縛られて、他の縁を見過ごしているかもしれません。
かなえさん。以前、私も状況は異なれど、「キミとは運命」的な言葉を言われ、恋人未満のような関係をしばし続けていたことがあります。
運命、縁、神様がくれた出会い……確かに2人のきっかけはそう表現しても間違いではありません。それらの言葉で添い遂げる人たちだっています。しかし最近ふと思うのです。上記のような言葉たちの先に、笑顔になれる種が転がっていない場合もある……と。
もちろん運命の先の幸せだってあります。しかし、「これは縁なんだ」という言葉に縛られて、他の縁を見過ごしてはいないでしょうか。繋がるもの、出会うものは一つではないし、正直に言えば、運命の人はあくまで候補であり、何人かいてもおかしくないのです。「やはりちがったみたい」と肩を落とすシーン、ドラマや映画でも観ますよね。私も「キミとは運命」男子とは「いや、違うな」とサヨナラしました。
運命、縁、神様がくれた出会い。これらに、かなえさんが今背負っているもどかしさを足してください。運命は「宿命」、縁は「因縁」、神様がくれた出会いは「試練」――に変換されないでしょうか。先が楽しみ、先が明るいから、縁によりどころを求める意味があると私は思います。我慢して待つ宿命の先にも幸せがあるかもしれませんが、かなえさんの心身が心配です。
気持ちが向かなくても、他者から紹介してもらえた縁に感謝してみましょう。少し発展があるかもしれませんよ。
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